いつの時代も、競馬ファンの間で議論されるテーマはいくつかありますが、その中でも必ずと言っていいほど意見が割れるテーマは「歴代最強馬はどの馬か?」ですよね。
このテーマの答えが一致することはこれまでありませんでしたし、これからも無いでしょう。
なぜなら競馬には、適正距離があること、また平均で3〜4年しかレースに出走する時期がないからです。
さらに、引退後は種牡馬や繁殖牝馬の第二の人生が待っているので、強い馬ほど引退する時期が早くなるという他のスポーツにはない競馬独自の特徴があります。
したがって、直接対決するサラブレッドは限られており、常に空想の中でのレースでしか勝敗を付ける事が出来ないのです。
そんな永遠のテーマである、「どの馬が歴代最強馬なのか?」というテーマに本記事では、さまざまな目線から追及していきたいと思います。
この記事で分かること
- あの馬が凱旋門賞に走っていたら勝っていたのか?
- フランケルが歴代最強馬と言われているのは、なぜか?
- ディープインパクトとサイレンススズカが一緒にレースで走ったら、どちらが勝つのか?
具体的に馬名をあげ、さらに日本、世界、そして実際に騎乗していたジョッキーのコメントから、歴代最強馬に迫っています。
競馬ファンなら目が離せない内容になっていますので、ぜひ最後まで読んでみてください。
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国内歴代最強馬はどの馬?!その理由を徹底解説!
「日本国内の競馬史上、どの馬が1番強いのか?」
先ほども説明したように、この疑問に対して一つの答えをだすことは難しいです。
しかし、「世界最高峰のレースは何か?」という質問には、ほとんどの方が「凱旋門賞」と答えるのではないでしょうか。
凱旋門賞とは、1920年に創設され、フランスのパリロンシャン競馬場で毎年10月第1日曜日に開催されるG1レースで、世界で最も伝統と権威のあるレースと言われています。
ですのでこの項では、その世界最高峰のレースである凱旋門賞に、最も近づいた国内最強馬を中心にお伝えしていきます。
また、国内歴代最強馬と聞いて、ディープインパクトの名前が挙がる方は多いのではないでしょうか?
しかし、ディープインパクトがなぜ国内歴代最強馬と言われるのか、その理由をしっかり説明できる人はそう多くはないでしょう。
そこでこの記事では、ディープインパクトが日本競馬において最高傑作と言われる理由についてもお答えしていきます。
今まで以上にディープインパクトについて詳しく知りたい方は是非、この記事を参考にしてください。
阪神大賞典は伝説に。第7代3冠馬オルフェーヴル
歴代最強馬に選出される馬には、必ずその馬を代表するレースがあります。
今回は取り上げていませんが、テイエムオペラオーの第45回有馬記念や、ナリタブライアンとマヤノトップガンがマッチレースを演じた第44回阪神大賞典がその良い例です。
そしてまた、前代未聞の衝撃的なレースを作った馬が第7代3冠馬オルフェーヴルです 。
しかもそのレースというのは、3冠レースでもなければ優勝したレースでもなく、第60回阪神大賞典です。
このレースで、オルフェーヴルは単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気でした。
前年に主戦騎手の池添謙一騎手と共に牡馬3冠レースを制覇し、さらに年末の有馬記念まで優勝したのですから、このオッズも納得です。
レースでは順調にスタート切ったオルフェーヴルでしたが、2周目の向こう正面で制御が効かなくなり、3コーナーを曲がる際に逸走し大失速します。
この時、実況していたアナウンサー、観客、さらに実際にレースに騎乗していた他の騎手までもオルフェーヴルに何か故障などのアクシデントが発生したと思いました。
しかし、オルフェーヴルはここから伝説を作ります。
最後方まで下がってしまったオルフェーヴルですが、ここから再度加速し、みるみる内に先を走る馬群に追いつき、最終コーナーでは馬群内へ。
最後の直線でも加速し続け、大歓声の中ゴールします。
しかし、結果は残念ながら2着。
ただこのレースは、未だに伝説のレースとして語られており、今後も二度と見られないレースと言っても過言ではありません。
その証拠に、最終コーナーでオルフェーヴルに追い抜かれたオウケンブルースリに鞍上していた安藤勝己騎手は、オルフェーヴルを見た時に二度見し、1着に入線したギュスターヴクライに騎乗していた福永祐一騎手はゴール番を超えた後に、池添騎手に「化け物だ」と伝えたといいます。
また、オルフェーヴルといえば凱旋門賞制覇に最も近づいた国内馬と言われています。
お伝えした阪神大賞典のレース後、宝塚記念を優勝し凱旋門賞の前哨戦であるフランスG2フォア賞も完勝。
その後、日本の期待を大いに受けオルフェーヴルは凱旋門賞へ挑みます。
スタート後は後方待機の作戦をとり、偽りの直線といわれる「フォルスストレート」でも力を溜め続け、直線を迎えます。
ほぼ馬なりで先頭に取り付くと、残り約300mの地点で先頭に立ちます。
ライブ中継されていた日本人誰もが遂に悲願達成と思った瞬間、ゴール手前でソレミエに交わされて惜しくもクビ差の2着。
ちなみに、この時の鞍上は日本でもおなじみのオリビエ・ペリエ騎手でした。
また、優勝したソレミエは次走でジャパンカップに参戦し13着に大敗しています。
オルフェーヴルは翌年も凱旋門賞に挑戦しましたが、またも2着。
この時は1着馬トレビから5馬身離差でした。
この後、オルフェーヴルは年末の有馬記念を引退レースに選び、単勝1.6倍の圧倒的人気にこたえ見事優勝。
2着馬ウィンバリアシオンとの着差はなんと8馬身差あり、最後まで強さを見せつけました。
競馬では時に、気性が激しい「じゃじゃ馬」がファンを集めます。
ゴールドシップやオルフェーヴルの父ステイゴールドが有名ですが、オルフェーヴルも気性がとても荒く、またその性格でファンがとても多いことで有名です。
デビュー戦や3冠を達成した菊花賞のゴール後に、鞍上の池添騎手を振り落したエピソードは今でも語られています。
世界が認めた自在馬!エルコンドルパサー
オルフェーヴルが参戦した凱旋門賞の13年前にオルフェーヴルと同様に凱旋門賞で2着になった競走馬がいます。
それが、エルコンドルパサーです。
エルコンドルパサーが歴代最強馬と言われる大きな理由には、時代背景があります。
この当時は、まだまだ日本競馬と世界の競馬との力差があり、また輸送時間の関係から海外遠征が現在の様に頻繁に行われる時代ではありませんでした。
また、エルコンドルパサーはクラシックレースに出走できなかったこともファンから熱い支持を受ける要因になっています。
今では、3歳馬であればどの馬にもクラシックレースに出走するチャンスが与えられています。
しかし、エルコンドルパサーが3歳当時(1998年)は海外の父母を持つ外国産馬には、クラシックレースに出走する権利がありませんでした。
当時の外国産馬はクラシックレースに出走できない為、距離適性が向いていないにも関わらずNHKマイルカップ(1600m)に出走するのが通例です。
このことから、NHKマイルカップは丸外ダービー(外国産馬のダービー)と言われており、エルコンドルパサーも前例通り出走し優勝しています。
その後、今でも取り上げられることの多い、サイレンススズカ、グラスワンダーと共に出走した毎日王冠で2着。
次走のジャパンカップで見事優勝するのですが、その2着馬には当時、牡馬にも負けない牝馬として人気のあったエアグルーブ、3着馬はダービー馬スペシャルウィークでした。
この結果を受けてエルコンドルパサーは、翌年からフランスに滞在して凱旋門を狙う驚きのプランを発表します。
お伝えしたように、当時の海外競馬とは物理的な輸送時間もかかり、競馬のレベルにおいても現在とは比べ物にならない程遠い存在でした。
ですので、前代未聞の海外への長期滞在は、各方面から賛否両論があがります。
しかし、エルコンドルパサーは周囲の心配の声をよそにイスバーン賞(G1)を2着の後、サンクール大賞(G1)フォア賞(G2)を連勝し、遂に凱旋門賞に挑戦します。
凱旋門賞では、好スタートを切ったこともあり今までの戦法ではない逃げを選択。
最終コーナーまで抜群の手ごたえで走ると、直線でも先頭をキープし続けます。
優勝も見えてきたその時、キネーン騎手騎乗のモンジューがわずかに先にゴールし、結果は2着。
その差はわずか1/2差と悔しい結果となりました。
この時の斤量は、エルコンドルパサーは59.5kg、モンジューは56kg。
また、モンジューは次走をジャパンカップを選択し4着に敗れたこともあり、「もう一度、凱旋門賞を同じメンバーで走ればエルコンドルパサーが勝ったのではないかと」と言われています。
現在のようにクラシックレースの権利があれば三冠馬になっていた、と言う意見も多く、エルコンドルパサーを歴代最強馬に推す根強いファンがたくさんいます。
日本初の芝・長距離世界1位!第6代3冠馬ディープインパクト
最後にご紹介するのは、ディープインパクトです。
先の通り、国内歴代最強馬を語る上で、ディープインパクトの名前が思い浮かばない人はいないのではないでしょうか。
ディープインパクトの他にもたくさんの3冠馬がいる中で、なぜディープインパクトが歴代最強馬と言われ続けているのか、詳しく解説していきます。
ディープインパクトは馬体が薄かったこともあり、競り市では高額ではあるものの一般的な価格である7000万円で取引されます。
これは上場されたサンデーサイレンス産駒14頭のうち9番目の落札価格でした。
その後、ディープインパクトはデビュー戦を4馬身差で快勝。
出走馬のレベル差が大きいデビュー戦では4馬身差以上の着差で勝つ馬は少なくありませんが、鞍上の武豊騎手はゴール板を過ぎた際「ヤバい馬が出てきた」と発言したそうです。
その期待通り、ディープインパクトは次年の菊花賞まで無敗でクラシック3冠馬までたどり着くことになります。
この新馬戦後に出走した若駒ステークスでは、直線だけで後方から一気に加速し、5馬身差の圧勝。
しかもレース中は、ほぼ鞭を使用せず持ったままでゴールし、後にディープインパクトを代表するレースと言われることとなります。
この頃からディープインパクトの強さは競馬界隈だけでなく各方面にも広がり始め、競馬とは無縁と思われるメディアでも取り上げられます。
後に出走する凱旋門賞では、民放でも特別番組が組まれるほどの熱狂ぶりで、普段競馬をしない人達も巻き込んだ「ディープブーム」を巻き起こします。
菊花賞後の有馬記念では、ハーツクライ鞍上のルメール騎手の好騎乗もあり、初めての敗北となるのですが、レース後に「今回は飛ばなかった」という武豊騎手の発言はニュースに取り上げられ、優勝馬ハーツクライより「あのディープが負けた」と話題なったことからもディープインパクトの人気ぶりがうかがえます。
翌年は阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念を危なげなく快勝したディープインパクト陣営は、国内ではもう敵がいないことから凱旋門賞への賛成を表明。
ディープインパクトはこの年、これまでの歴代最強馬と同様に凱旋門賞に挑戦することとなります。
ディープインパクトの凱旋門賞出走は、競馬関連以外の新聞やメディアなどでも大きく取り上げられ、さらにディープブームを加速させます。
凱旋門賞当日は多くの日本人の注目が集まりましたが、いつものような飛ぶ姿は見られず残念ながら3着。
また、レース後に禁止薬物の使用が発覚し、失格となります。
帰国後はジャパンカップを2馬身差、有馬記念を3馬身差で快勝した後、その強さが故、わずか14戦で種牡馬の道を選択します。
この引退レースである有馬記念の観客動員数は約11万人、その後に行われた引退式は約5万人と言われています。
引退式は競馬の全レースが終わった後に行われる為、12月の寒空の中で行われた引退式に5万人が残ることは異例中の異例です。
その他にも、最後のクラシックレースである菊花賞の観客動員数は13万人以上、優勝したレースの合計着差は約35馬身、一番高かったオッズは1.3倍(凱旋門賞を除く)と異次元の記録を残していることから、ディープインパクトが国内最強馬の1頭であることは間違いありません。
また、ディープインパクトが歴代最強馬と言われるもう一つの理由は、2006年に日本馬で初めて芝競争長距離レーティングで世界1位を獲得したことがあげられます。
これは、名実ともにディープインパクトが世界に認められたという大きな証明です。
さらに、ディープインパクトが競馬ファンの記憶に残る理由として、種牡馬としての成功があります。
ディープインパクトは引退後、次々と名馬を輩出し種付け料が4000万円まで高騰します。
代表産駒には、G1を7勝したジェンティルドンナや、短距離G16冠馬グランアレグリア、2020年の3冠馬コントレイルなどを排出。
コントレイルとディープインパクトは史上初の親子無敗3冠馬にもなりました。
また、2021年にはイギリスオークス(G1)でディープインパクト産駒のスノーフォールがレース史上最大着差となる16馬身差の圧勝。
これは242年の歴史があるイギリスオークスでも最大着差となっています。
ジョッキーが選んだ歴代最強馬はコレだ!逸話も紹介!
次にご紹介するテーマは、「ジョッキーが選んだ歴代最強馬」です。
歴代最強馬について議論される時は、基本的には競馬評論家やファンからのアンケートがほとんどですので、実際に騎乗している騎手からの評価は貴重かつ信憑性があります。
この項では、実際に主戦を勤めた騎手が残した逸話やコメントを基に、歴代最強馬を探っていきましょう。
獲得賞金歴代1位。歴代最強牝馬!アーモンドアイ
まず初めにご紹介する馬は、アーモンドアイです。
アーモンドアイと言えば、第38回ジャパンカップで衝撃の世界レコードを叩き出したことで有名です。
また、翌年行われた3頭の3冠馬が対決し「世紀の一戦」といわれた第39回ジャパンカップも優勝するなど、言わずと知れた最強牝馬です。
アーモンドアイの特徴は、1600〜2400mと幅広い距離のG1で優勝していることや、世界的に有名なG1レースであるドバイターフでも勝利していること。
G1勝利数は8回、総獲得賞金額は日本競馬史上歴代ナンバー1の記録を現在も保持しています。
主戦騎手を勤めていたルメール騎手はアーモンドアイのことをこう表現しています。
「数々の名馬に騎乗経験はありますが、どの馬より彼女が一番強い。」
史上初の7冠馬!昭和最強シンボリルドルフ
続いてご紹介するのは、国内で始めて無敗の3冠馬となったシンボリルドルフです。
若い人や最近競馬に興味を持った方は知らない馬かも知れませんが、昭和世代の方からは絶対的な指示を受ける歴代最強馬候補の一頭です。
シンボリルドルフは無敗で3冠を達成した後も成長を続け、クラシックレースを含めたG1を7勝するなど、圧倒的な強さを誇りました。
このことから「無敗の3冠馬」よりも「7冠馬」として紹介されることが多いです。
主戦の岡部幸雄騎手は当時、「超高級外車」、「現在の日本競馬界で作り出せる、最高峰を極めた馬。」と褒めたたえています。
また、岡部幸雄騎手自身が38年もの長い間、騎手を続けられた理由に「もう一度、シンボリルドルフのような馬に騎乗したかったから。」とコメントしています。
また、頭がとてもいい馬で「レース前に馬自身で体を作り、レースの勝ち方を知っている。」とも話しており、ディープインパクトの強さを認めた上で「シンボリルドルフの方が強いと思っている。」と発言しています。
素質はディープ以上!?幻の最強馬シルバーステート
次にご紹介する馬は、2023年に騎手を引退する福永祐一騎手が歴代最強馬と名前をあげるシルバーステートです。
この馬は、わずか5戦で引退してしまうのですが、走ったレースの印象があまりに強いため「幻の最強馬」と言われています。
シルバーステートは5戦の生涯レースの内4勝しているのですが、その勝った4つのレース全てで鞭を使用せず、もったままで楽勝しています。
また、怪我から1年7ヶ月ぶりに復帰したレースでは、逃げたにも関わらず上がり3F、33秒3を記録したことや、流しながらゴールしたにも関わらずコースレコードを残すなど、競馬ファンの間でも当時大きな話題になりました。
主戦の福永祐一騎手は、デビュー前の調教段階から「日本ダービーが狙える」と周囲に漏らしていたとのことです。
またコントレイルなどの名馬に出会った現在でも、「シルバーステートの能力はダントツ」、「コントレイルより凄かった」、「これまでの馬とは規格外」と発言しています。
G1勝利確実と言われながら屈腱炎の為、引退してしまいましたが、数々の競走馬に乗ってきた福永祐一騎手が歴代最強馬と言うのですから、その強さはディープインパクトにも匹敵するものだったのかもしれません。
武豊が認めた!音速の貴公子サイレンススズカ
最後にご紹介するのは、競馬ファンならずとも知っている天才武豊騎手が認めた歴代最強馬です。
最近の武豊騎手は、「騎乗した馬で一番強かった馬はどの馬ですか?」という類の質問には具体的な馬名をあげて答えることはありません。
しかし唯一、ディープインパクトでも負かせない馬という観点で名前をあげた名馬がいます。
それが、サイレンススズカです。
サイレンススズカは、スタートから先頭を走りそのままゴールまで走り切る「逃げ」で素質を開花させた名馬です。
しかもサイレンススズカの場合は、超ハイペースを自ら作りそのまま押し切る「大逃げ」をすることも相まって、現在でも根強い多くのファンがいます。
そんなサイレンススズカが第49回毎日王冠で圧勝した際、武豊騎手は「ナリタブライアンやトウカイテイオーなどの過去のどんな名馬が来ても負けないと思う。」とコメントし、さらに、2000年に行われた「最強馬アンケート」という雑誌の企画でもサイレンススズカの名前をあげています。
その後も「サイレンススズカは一番勝ちやすい馬」「理想のサラブレッド」などのコメント残し、ディープインパクトの騎乗をした後でも、「ディープインパクトが最も負かしにくい馬はサイレンススズカです。」と明言しています。
世界の歴代最強馬は!?史上最高レーティングはどの馬?
「日本の歴代最強馬だけでなく、世界の歴代最強馬も知りたい。」
日本競馬のレベルは年々向上し、今では日本馬が海外G1を勝つことも当たり前になってきました。
しかし世界には、もっと強い馬や信じられない記録をもつ競走馬がたくさんいます。
そこで、目線を世界まで広げた歴代最強馬についてご紹介していきます。
25戦25勝!オーストラリア歴代最強馬ブラックキャビア
世界には25戦もレースをしたにも関わらず、無敗で引退した歴史的名馬がいます。
その名馬は、オーストラリアのブラックキャビアです。
ブラックキャビアは2009年〜2013年の4年間で25戦無敗という、とんでもない記録を作りました。
ただ、出走したレースが1000m〜1200mでのレースがほとんどだった為、他の名馬と比較されることは少ないです。
しかし、ブラックキャビアは故障の影響もあり4歳以降に本格化し、連闘や中1週のレースでも負けなかったことや、牝馬なのに馬体重が600kg以上あったなど、規格外のエピソードを残しています。
31馬身差は今でもレコード!アメリカ歴代最強馬セクレタリアト
海外競馬は日本の競馬と比較すると歴史が古く、語り継がれる伝説もたくさんあります。
そんな深い歴史があるダートの世界最高峰アメリカで歴代最強馬と称されている馬がセクレタリアトです。
セクレタリアトはわずか2年の競争馬生活でしたが、その間に数々の伝説を作りました。
1973年にアメリカ3冠馬を達成するのですが、その最後のレース、ベルモントステークス(G1)でセクレタリアトは2着馬に31馬身の差をつけて優勝。
これは、未だに破られていない世界記録です。
その後のレースでも、大差勝ちなど印象的な勝ち方をしたことで、現在でもたくさんの指示を受けています。
競走馬として生活した2年間は、共に年度代表馬にも選ばれています。
名実ともに史上最高傑作!イギリス歴代最強馬フランケル
お伝えした通り、歴代の名馬を一緒に走らせることが出来ない競馬では歴代最強馬を決定するのは難しいです。
しかし唯一、レーティングという競走馬の能力を数値化する方法なら比較することが可能です。
その世界共通の公式レーティングで、歴代一位の記録を持っている馬がイギリスのフランケルです。
フランケルは良血馬としてデビュー前から注目されていたのですが、デビュー以降も大差勝ちで優勝するなど、周囲の期待以上の活躍をします。
3歳時にはイギリスの2000ギニー(G1)を6馬身差で圧勝し、その後もマイルG1を中心に出走し、生涯成績は14戦無敗。
2012年のレーティングで記録した140という数値は、現在でも歴代最高です。
また、現在のレーティング制度では140が最高値として設定されている為、事実上、フランケル以上の馬は存在しないことを意味しています。
現在は日本でも産駒が活躍し、朝日杯フューチュリティステークスの優勝馬グレナディアガーズなどの産駒を残しています。
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まとめ
お伝えした中に、皆さんのお気に入りの名馬や推薦したい競争馬は含まれていたでしょうか。
最強馬と聞くと一頭に絞らなくてはいけない気がしますが、私は複数の名馬が歴代最強馬と認められても良いのではないかと思っています。
日本競馬のレベルは近年、凄い勢いで向上しています。
また5年後に同様のテーマを取り扱った時には、ガラッとラインナップが変わっているかも知れません。
それが競馬の面白い所であり、ブラッドスポーツ(血統のスポーツ)と言われる由縁なのではないでしょうか。