競艇選手

競艇の佐々木裕美選手は壮絶な過去を乗り越え今も水上で戦い続ける女性ボートレーサー

競艇の佐々木裕美選手は壮絶な過去を乗り越え今も水上で戦い続ける女性ボートレーサー

本記事では佐々木裕美選手について紹介していきます。
佐々木選手は既に40歳を超えていて、女性選手のなかでは中堅クラスの経歴を持っていますが、今でもとても美人な顔立ちであり、なおかつモデルとしても通用するのではというほどのプロポーションを維持していることから、男性ファンがとても多いです。

しかし、実は彼女はそんな外見からは想像もつかないほど辛い過去を乗り越え、現役競艇選手として戦い続けています。
彼女の過去を知ってしまうと応援せずにはいられなくなるのではないでしょうか。

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佐々木裕美選手の基本情報

佐々木裕美選手の基本情報(引用元:https://www.youtube.com/watch?v=MP4G-7DVDis)

佐々木裕美選手の基本情報について表にまとめました。

佐々木裕美(ささきひろみ)基本情報
名前 佐々木裕美
登録番号 4045
所属支部 山口
生年月日 1979年10月3日
身長 162センチ
体重 44キロ
級別 A2

佐々木選手は山口支部に所属していて、級別は上から2番目のA2級となっています。
身長は162センチと女性競艇選手のなかではかなりの高身長ですが、体重は44キロであり、かなり細身の体型であることが分かります。

佐々木選手は85期に当たるのですが、この85期には井口佳典選手、田村隆信選手、丸岡正典選手、湯川浩司選手と、SGレースを制した選手が多数在籍していることから、通称「銀河系軍団」と呼ばれています。

生粋のアムラー

佐々木裕美選手は「競艇界のアムラー」と呼ばれています。
佐々木選手自身、ちょうど歌手の安室奈美恵さんが大人気だったころに学生時代を迎えていたということもあり、安室さんの大ファンで、生粋のアムラーでした。
しかもその情熱はただの安室奈美恵ファンの域を軽々と超えるレベルです。

競艇場でのトークショーでは安室奈美恵さんのコスプレをして登場したこともありましたが、佐々木選手自身が安室奈美恵さんと体型がよく似ているということもあって、とても似合っていました。

更に安室奈美恵さんが着用していた衣装を見て「可愛すぎる」とTwitterでつぶやいたかと思うと、なんとその衣装をそっくりそのまま自作してしまい、Twitter上で公開したのです。
とても素人が作ったとは思えない出来栄えで、実際に佐々木選手自身が着用していた写真も公開しています。

引退を発表したのちの1年間は忙しい日々を送っていたらしく、引退後も聖地巡礼などをしていたそうですが、現在は一旦落ち着いたとの事です。
最近は韓流ドラマやアメリカのドラマなど海外ドラマを見ることにハマっているらしく、レース前日などに見ると、リラックスできるとインタビューで話されていました。

佐々木選手が競艇選手を目指すまで

佐々木選手が競艇選手を目指すまで

佐々木選手は山口県で生まれ育ち、意外にも工業高校を卒業しています。
学生時代は意外にも少林寺拳法で日々身体を鍛えていました。
しかもただ少林寺拳法を習っていただけというわけではなく、県大会で優勝、さらに中国大会でも優勝しているという優秀な成績を記録しています。

小学生の時に祖父に競艇場へ連れて行ってもらった際、実際にレース場を走るボートレーサーの姿を見て「カッコイイ」と思ったのが競艇選手になろうとした直接のきっかけです。
そして高校を卒業したのち、競艇選手への登竜門である「やまと養成学校」への入学を目指すのですが、やまと養成学校は常に10倍以上の競争率を誇る難関校でした。

更に佐々木選手自身に競艇の知識があまりなく、視力もそれほど良くはないこともあって、なかなか合格する事が出来なかったのですが、諦めずにチャレンジをし、3回目の挑戦でついに合格の切符を手にしました。

やっと入学したやまと養成学校ですが、前述したとおりこの年はのちに「銀河系軍団」と呼ばれるほどレベルの高い生徒たちがひしめく状態であり、佐々木選手は一時期退学寸前にまで追い込まれてしまいます。

しかし、養成学校を3回も受験した持ち前の根性と、少林寺拳法で培った運動神経によって徐々に克服し、無事にやまと養成学校を卒業、競艇選手としてデビューすることになりました。

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デビュー戦でいきなり2着

デビュー戦でいきなり2着

やまと養成学校卒業後、1999年11月10日、地元下関競艇場で佐々木選手はデビュー戦を迎えることとなります。
新人選手は必ず最も不利である6コース進入が暗黙のルールとなっているため、下位に甘んじる選手が多いのですが、佐々木選手はなんとデビュー戦でいきなり2着に入るという大健闘を見せます。

そしてデビュー9か月目、2000年8月30日の丸亀競艇場でのレースで初勝利を手にしました。
しかしそれ以降堅実な走りは見せるものの、優勝にはあと一歩手が届かないという日々が続きます。

デビュー4年目で初優勝

デビュー4年目で初優勝

なかなか優勝できない中でも堅実な走りを見せ続けていた佐々木選手、その努力が報われたのは4年目のことでした。
2003年5月26日、唐津競艇場でのレースにおいて、佐々木選手は優勝決定戦まで勝ち進みます。

優勝決定戦では3号艇でのスタートだったものの、もっとも不利である大外6コースからの進入となってしまいましたが、勝負所を見逃さず見事なまくり差しを決めて1着でゴール、ついに初優勝に輝きました。

2004年に坂谷真史選手と入籍

2004年に坂谷真史選手と入籍

2004年の3月2日には「第17回JAL女子王座決定戦競走」に出走、これがG1レース初出走でしたが、3月4日の第12レースに出走するとまくり差しを決め、早くもG1レース初勝利を決めるなど、ここ一番での勝負強さを見せつけています。

順調に実績を積み重ねていた佐々木選手でしたが、この年10月に行われた「G3第21回クイーンカップ女子リーグ戦」を初日から欠場します。
突然の欠場に何があったのだろうとファンから心配する声も上がっていましたが、後に同じく競艇選手である坂井真史選手と入籍、産休に入ることが明かされました。

坂谷選手は佐々木選手と同じく85期生であり、そのなかでも勝率7点台付近を常に維持し続けているという好成績の選手で、将来を有望視されている選手でした。
ここからお互い切磋琢磨して更に上を目指そうと共に頑張っていたことでしょう。
翌年には無事男の子を出産し、2006年1月13日に産休からの復帰を果たすと早速翌日のレースで復帰後初勝利を手にしました。

2007年突如悲劇が佐々木選手を襲う

2007年突如悲劇が佐々木選手を襲う

先ほどの文章が過去形だったのには理由があります。
実は坂谷選手はすでに他界されているからです。
その痛ましい事件は2007年に発生しました。

2007年2月26日、この日佐々木選手は出場予定だった「JAL女子王座決定戦競走」の前検検査を受けるため徳山競艇場を訪れていて、夫である坂谷選手は同日住之江競艇場で開催されていたG1レース「太閤賞」に出走中でした。
この時のレースで坂谷選手は5号艇でのスタート、6コースからの侵入と不利な状況でしたが、1周目の第1ターンマークで巧みなターンを決め、上位につけました。

そこから更に上位を目指そうと2周目の第1ターンマークを回った際に6号艇の選手のボートと接触、坂谷選手は落水してしまいます。
その後浮かび上がったところが不運にも別の艇の目の前だったため、坂谷選手を避けることができずに激突、坂谷選手はボートに巻き込まれる形となりました。

すぐに病院に運ばれ集中治療室で懸命な治療が施されましたが、ボートに巻き込まれたことによるダメージはあまりにも大きく、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症によって帰らぬ人となってしまいました。

事故の一報を聞きつけた佐々木選手は即座に出走を取り消して病院へ向かいましたが、残念ながら最後を看取ることはできなかったのです。
失意の佐々木選手は結婚後所属していた福岡支部から元の山口支部へと所属を戻し、長期の休養に入ることとなります。

悲劇の地でレース復帰

悲劇の地でレース復帰

普通だったら、自分の伴侶の命を奪った仕事と同じ仕事を続けようとは思わないでしょう。
しかし佐々木選手は休養からわずか8か月後の2007年10月13日、競艇選手として復帰を果たします。
そして、復帰場所に選んだのはなんと夫である坂谷選手が事故を起こした住之江競艇場でした。

佐々木選手は気持ちの整理をつけるため、そして今後も競艇選手として戦い続けるために、あえて住之江競艇場を選んだのです。
佐々木選手は復帰から3日後の同月16日、見事復帰後初勝利を飾っています。
最大の試練を自らに課し、すぐに勝利を飾ってしまう佐々木選手の人並外れた精神力には只々脱帽するばかりです。

そして翌2008年7月17日には、夫坂谷選手の地元競艇場である三国競艇場で復帰後初優勝を手にします。
この偶然には頑張っている佐々木選手の姿を見た坂谷選手が優勝に導いてくれたと思わざるを得ません。

2009年にはA1級へと昇格、「ボートレースオールスター」に出場するといきなり初勝利を飾っています。
この時佐々木選手は6号艇からのスタートということもあって下位人気だったため、3連単の配当は当時の最高額である199,840円となりました。

レースに賭ける強い思い

不慮の事故によって夫を亡くし、シングルマザーとなった佐々木選手のレースに賭ける思いは並々ならぬものがあります。
「子供が成人するまでは夫の分まで自分が頑張ってレースに出続ける決心をしている」と語っていて、実際にその覚悟をレースでも実践し続けています。

級別は常にA級を維持し続けていることからもその努力がうかがえるでしょう。
A級選手であれば重賞レースにも出場できるので、収入面では心配はないといえます。

愛用のヘルメットには息子である「凱」君の名前の元ネタとなっている「凱旋門」と、凱君の誕生日、そして夫である坂谷選手の登録番号を必ず入れているそうで、まさに家族一丸となってレースを戦っているといえるでしょう。
佐々木選手のレーススタイルは、ダンプや無理な寄せといった危険な行動を一切行わないクリーンな走りであり、そういった面でも好印象を持てる選手です。

SNSは大人気!

現在多くの女性競艇選手がTwitterやインスタグラムなどSNSで情報発信していますが、佐々木選手も同じくTwitterやインスタグラムでプライベートやレース時などの情報を配信しています。
佐々木選手のSNSはどれも大人気で、女性選手のなかではトップクラスのフォロワー数といえるでしょう。

美味しそうな料理の写真や凱君との微笑ましい日常、更には突然安室ちゃんの衣装を縫い始めるというぶっ飛んだ行動に出ることもあるなど、いつもフォロワーを楽しませてくれるアカウントになっています。

まとめ

ここまで佐々木選手について紹介してきましたが、普通の競艇選手が体験しないような辛い過去を経験しているのにも関わらず競艇選手として戦い続け、レース場ではそういった一面があるとは思えない素敵な笑顔を見せてくれるのを見ると、応援せずにはいられません。
2022年3月25日、佐々木選手は20年7月以来の優勝を飾るなど、まだまだ実績を積み重ねる実力がある選手なので、これからのさらなる活躍に期待しましょう。

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