70年近い歴史を持つ、水上の格闘技ボートレース。そのボートレース界においてレジェンドとして「艇王」「不死鳥」と呼ばれている人物がいます。
約21年間の選手生活において通算74回の優勝を誇り、その中でもSGは歴代4位タイの10回の優勝をしている植木通彦さんです。
現役時代には顔面を75針を縫う大怪我に見舞われながらも半年後に復帰という伝説を残し、現役引退後は日本モーターボート競争会の理事やボートレーサーの養成機関であるやまと学校(現在のボートレーサー養成所)の校長になり、現在はボートレース振興会のボートレースアンバサダーをつとめています。
漫画「モンキーターン」では主人公に対して高い壁となって立ちはだかる、艇王榎木のモデルにもなったと言われる植木通彦さん、その詳しいプロフィールや実績、人物像を掘り下げていきましょう。
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目次
植木通彦のプロフィール
植木通彦(うえきみちひこ)基本情報 | |
出身地 | 福岡県北九州市 |
生年月日 | 1968年4月26日 |
身長 | 165cm |
体重 | 51kg(現役時代) |
血液型 | O型 |
登録番号 | 3285 |
登録期 | 59期 |
級別 | A1(引退時) |
師匠 | なし |
デビュー日 | 1986年11月 |
植木通彦さんは、1968年4月26日生まれ、2020年現在52歳です。
福岡市立小倉商業高等学校を2年時に中退しています。ちなみに高校時代は野球部に所属していました。
その後に全国モーターボート競争会連合会本栖研修所(後のやまと学校、現在のボートレーサー養成所)に入所します。
転覆事故、75針の大手術
選手としてのレースデビューは1986年、18歳の時に福岡競艇場でした。
その3年後の1989年1月16日、成人式の翌日に悪夢に見舞われます。
桐生競艇場でのレース、スタート直後の第1ターンマークで操縦を誤って転覆した際に後続艇のプロペラが顔面を切り裂き、全治5ヶ月、75針の縫合をしないといけない重症を負います。
驚くことに、そんな大怪我をしながらも搬送される救急車の中では、付き添いしていた関係者の方に「今のレースはフライングではなかったですか?」と聞いていたそうです。
部分麻酔での手術だった為、手術の最中に医師が「これが瞼かな」「これが鼻かな」などと言いながら縫合しているのを聞こえていたそうです。
普通の人間なら、そんな大怪我をした職業に戻ろうと思うでしょうか。
帰ってきた不死鳥
しかし彼はたった半年後に復帰します。
しかも、その舞台は重症を負った桐生競艇場でした。
だいたいの選手は、トラウマやフラッシュバックなどを恐れて負傷した競艇場以外での復帰を行いますが、彼は父親の進言や、自分を奮い立たせる意味で桐生での復帰を選びました。
これが不死鳥と呼ばれる所以です。
その後の活躍、突然の引退
その1年後の1990年に新鋭リーグでの初優勝、
さらに2年後の1992年には九州地区決定戦で初のG1優勝も飾っています。
さらに、後述しますがモンキーターンを使用しての初のSG覇者となり、一線級の活躍を繰り返していましたが2007年7月に選手を引退をしています。当時39歳とまだ選手としては充分戦える年齢での突然の引退でした。平均の選手寿命が51歳とされ、松井繁選手や今村豊選手など、50歳を超えてもまだまだ活躍している選手がいるボートレーサーの中でも桁違いに早い引退。その理由はなんだったのでしょうか。
引退会見で理由を述べる際、「桐生での事故の後、これからどうしようかと考えたときに、桐生のみなさん、そしてお世話になったみなさんのためにも『20年間、命を懸けて走ろう』と決心しました。そしてその20年が来ました」と語っています。
事故から復活した時から、20年で引退しようと決めていたのですね。優勝を重ね、活躍の幅が広がるにつれてもその思いは変わることなく、親御さんや奥様には早くからその決意を話していたようです。
その後、引退直後に桐生競艇場でSGが行われた際に、事故当時の治療してくれた医師を招待して改めてお礼を言っています。その時のコメントで、「ケガでグチャグチャだった顔を、結婚できるまでに治してくれました」と語ったそうです。
植木通彦の特徴や得意なコース
そんな植木通彦さんのプレースタイルや特徴、好きなコースなど調べてみました。
モンキーターン
競艇の旋回技術の1つ、モンキーターン。
植木さんはそのモンキーターンを駆使してSGを優勝しました。
モンキーターンを初めて使用したボートレーサーは、史上初の大卒レーサーとして知られる飯田加一さんと言われております。
しかし当時は転覆も多く、危険な乗り方として扱われていました。
その後様々な試行錯誤を繰り返し、度々成果をあげた為に若手レーサーを中心に注目される事となりました。
そのモンキーターンを使い、植木さんは第28回総理大臣杯(現在のボートレースクラシック)での優勝を果たします。ちなみにその優勝戦のレースには、飯田加一さんも出走していました。
1つのレース、それもSGの優勝戦に当時珍しかったモンキーターンの使い手が2人揃っていたんですね。
以後、モンキーターンは他のレーサーにも使用される事となり、今ではモンキーターンをしない選手は居ない、という程にまでなりました。
それまでの旋回技術に革命を起こしたと言っても過言ではないのではないでしょうか。
ちなみに植木さんは、2019年に新設されたG2ボートレース甲子園のオープニングセレモニーでもモンキーターンを披露しています。
好きなコース、勝負服
成績を見てみると、やはり1コースからの成績は他のコースでのレースに比べるとずば抜けて好成績を残しています。
ちなみに植木さんが好きなのは、5コースからのレースだと本人が著しています。
好きな勝負服は、4号艇の青色だとも書かれています。
ストイックすぎる
過去にテレビ出演した際に自ら口にしていたのですが、選手たちが先輩後輩でも仲良く話したり、オフに一緒に出かけたりという話を聞いて、「今の選手たちはオンオフの切り替えがしっかりできる人達で羨ましい。私は20年間それができず、ずっと気が張ってストイックにしかなれなかった。」と話していました。
今はニコニコしていて優しそうに見える植木さんですが、当時はずっと張り詰めてピリピリしていたと言う事でしょうか。想像もつきません。
しかし、だからこそ前述の様な大怪我をしても復活し、前代未聞のモンキーターンでの優勝の偉業も成し遂げられたのでしょうね。
植木通彦の過去成績・優勝歴
それでは、植木さんの成績や優勝歴などを見ていきましょう。
通算成績
通算で4500走、1562勝をあげています。
通算勝率は7.58と言う高い数字を残しています。
優勝回数
通算での優勝回数は74回、その内ボートレース界では最高峰のSGは10回の優勝を誇ります。これは歴代でも4位タイの記録となっており、この数字を見るだけでも植木さんの凄さが分かりますね。
2002年にはオーシャンカップ、競艇王チャレンジカップ、賞金王決定戦と1年で3つのSGを優勝しています。
その他、G1の優勝回数も23回を数えます。
植木通彦の年収は?
植木さんの年収ですが、1994年に初の賞金王になっていますのでこの時点で1億円は超えています。
その後は1996年に公営競技初の2億円超え、最高年間獲得賞金としては、前述のSG3大会を制覇した2002年に2億8418万4000円を稼ぎだしています。
一般人には想像もつかない年収ですね…しかしこれだけの活躍をしたボートレーサーですからその金額も頷けます。
ちなみに生涯獲得賞金は22億6184万2369円で、これは引退当時の歴代3位、2020年現在では歴代5位の金額です。
植木通彦はSNSはやってる?
植木さんはSNSなどしているのでしょうか?
調べてみました。
植木通彦のTwitter(ツイッター)は?
植木さんはTwitterはしていないようです。
植木通彦というHNは複数確認できましたが、どれも素人さんのアカウントの様で、ご本人ではないようです。
植木通彦のInstagram(インスタグラム)は?
Instagramではご本人のアカウントが確認できました。
写真と共に出演したテレビ番組や、YouTubeチャンネルの宣伝を行っていますね。
植木通彦のYouTube(ユーチューブ)は?
ご本人のチャンネルではありませんが、JLCレジャーチャンネルの動画に数多く出演されています。
選手と対談を行ったり、レースの解説などを行っています。
この他にも、ブログをしていたりAbemaTVでの番組をお持ちだったり、多方面で情報発信や活躍をされています。
植木通彦のプロフィール|まとめ
以上がボートレース界の不死鳥、艇王の植木通彦さんに関するあれこれでした。
大怪我からの復活、モンキーターンでのSG制覇…ボートレース界にとてつもなく大きな伝説と功績をもたらした人物です。
選手としても超一流でありながら、引退した後もアンバサダーとしてテレビ番組やトークショー、YouTubeなどで情報発信や解説などでご活躍されています。
彼によって、ボートレース界はこれからもますます発展していくことでしょう。